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2016年9月15日木曜日
愛知県芸術劇場ミニセレ 第15回AAF戯曲賞受賞記念公演 『みちゆき』
今回の『みちゆき』、愛知県芸術劇場が主宰するAAF戯曲賞。昨年2015年に同賞で大賞を受賞した松原俊太郎による戯曲「みちゆき」を、審査員を務めた地点の三浦基が演出したもの。日曜日まで自分たちの公演と重なっていた為、千秋楽を観劇。
会場に入って、舞台上に大型のスクリーン2つ、動画が投影。まるでトリエンナーレの展示室。しゃれた空間に仕上がっていた。
背面から投影している正面の舞台に役者のシルエットがマイクとともに投影、舞台がスタート。
それぞれの役がマイクに絶叫したりうなったりしながら言葉が波のように押し寄せる。これにより屍を表現。暫くすると客席から薄汚れたいでたちの男が発電機能付きのライトを持って舞台に登場。浮浪者らしい。その後はところどころで屍がスクリーン前にも現れる。後からは蝿ともくされる人物も。どちらも同じ様な一種独特な喋り方。屍も生きている浮浪者も、そして蝿さえ大した違いがないと言いたいのか。
力のある戯曲で、抽象的な言葉で、震災、津波、原発事故、戦争、暗喩されるものも多い抽象的な世界観の戯曲。
地点の世界では言葉に対する批評性と再構築が特徴だが当たり前だが、古典の戯曲はともかく初見の戯曲とはあまり相性が良くない。というか良さを潰し合っているようにも感じた。
作品を予備知識なしに観ていたのでいったい何を意味しているのか、何を暗喩しているのか、自分の想像があまりに確信が持てなくて、解釈をあきらめそうになった。というか一語一語の解釈を思考停止しそうになった。
それほど強い批評性がある感じもしないのでそこまで抽象化する必要性は感じないが…。
周りをみると乗り出してみているおそらく熱心な地点ファンを横目に、一方居眠りをしている両隣と極端な会場の姿にも戸惑った。
やはり事前に公開されている戯曲を読んでこその公演なのかもしれない。ふと、スタニスラフスキーの言葉が浮かんだ。
「自ら藝術を愛せ、藝術の中で自己を愛するな」
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