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2015年5月27日水曜日

読んだ~!本能寺の変 431年目の真実



次回公演の台本を直しているなどでなかなか進んでいなかったが、漸く読み終わった。

これまで怨恨説、将来悲観説、四国征伐回避説、黒幕説、足利義昭説など様々な説がある。
この本ではいずれでもない独自の説が展開されている。

天下統一が目前まで近づいてきていたが、さらなる褒賞となる領地獲得の為、織田信長はさらなる唐入りを考えていた。
明智光秀は土岐明智氏を復権を望んでいたが、若くない明智光秀にとって、転封になる事は一族安泰は遠ざかるということを意味した。
武田氏滅亡でいよいよ織田信長の唐入りが本気だという事がわかってきた明智光秀は、唐入りを阻止するには謀叛しかないと考えるようになった。
そこに、織田信長から徳川家康暗殺の相談があった。手勢も僅かで織田信長が本能寺入りし安心させてそこへ徳川家康を呼び出し、本能寺入りした徳川家康を明智光秀の一団が襲撃暗殺、一気に徳川の所領を攻め落とすというものだ
光秀は謀叛を起こすならそこしかないと考え、徳川家康と談合した。
徳川家康は命からがら伊賀を逃げたのではなく、事前に算段がつけてあった。また、同じく通じていた細川藤孝は豊臣秀吉にも通じていて、だからこそ大返しが実現した。
色々気になる点はあるが、今と違って
一族安泰への執着、生き残るためなら誰が裏切るかわからない
この状況は戦国時代なら、
もしかしたらあったかもと思えてくる。
作者 明智憲三郎氏自身のページ

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